■思想?


本日はレコーディングだったわけだが、
最中に大変な事が起きてしまった。
米国の大規模テロ。


何故、人は思想の為に人を死に至らしめるのか
何故、平和という名の元に争いを起こすのか。
私には全く理解ができない。
近年、私の目には生命の軽視した事柄が際立って映る。
これは私の怒りであり嘆きである。


怒りや嘆き、それら多くの感情は誰もが生涯かけて背負うものである。
我々音楽家はそれら「想い」を音楽に投影させ、
自己を浄化させることを特色としている訳だが、
その術は形を変えれば万人にも可能であるはず。
多くの人達は選択肢の一つとして音楽を聴く事で浄化を手助け
している事と思う。


この数年、音楽は私が愛してやまない60年代の影響で
ピースフルなものが多く、「自己との向き合い」へ導く音楽が
溢れ、
楽家として「ある種」の充実感を得ていた。
そんな矢先に今日の出来事である。
楽家として嘆かずに何を想う?


今、アメリカの報復処置について多くの人々が感心を持っている
事だろう、
中には「ヤられたらヤりかえせ」という意見もあるだろう。
勿論、それは一理でもある。許される行為である訳が無い。
しかし私が願うのは何が平和であるのかを今一度見つめ直し、
メディアからの感化を極力排除した自分の考え方を力強く持って欲しい。


数時間様々なメディアに目を通すと「報復ぼっ発」に向け、
世論をコントロールするようなコメントが多く見える。
俗にいう「メディアコントロール」という行為だ。
民主主義の名の元に個人思想を尊重するといいつつも
思想そのものをハンドリングしようという灰色な行為である。


この事件報道で自分を含め人々の思想や意志が簡単に左右されぬ様に願う。


私は政治的背景のうんちく以前に
飛行機に乗り合わせてしまった人々の恐怖と無念さ、
数百メートルのビルの上で行き場を失い恐怖にかられた事、
そして私や多くの人々の想い出の場所であるだろうあのビルが崩壊した事。
複雑な思いが身体を駆け巡っている。


黙祷








2001/09/12(Wed)